2017年08月20日

まともな日本人の対極にある日本の政治家の発言

 『広島に原爆を落とす日』という題名の戯曲があります。劇作家の故・つかこうへい氏の作品です。有名な作品ですが、私は昔から、この題名をどうしても好きになれませんでした。
 「こういう題名は、まともな日本人ならば付けられないのではないか?」との思いが、直観的にありました。そしてその直感は正しかったのだということを、後から知りました。
 つか氏にどれほど優れた才能や業績があったとしても、この題名ひとつで致命傷だと思います。私の知り合いの演劇人には、つか氏の影響を受けた方も多いので言い辛いのですが、私はこういう題名を自作に冠してしまった氏の作品を読みません。

 まともな日本人かどうかということは、単に国籍だけで判断できることではありません。
 昨年の「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に「保育園落ちた日本死ね」という言葉を選んだ理由について、審査員で歌人の俵万智氏は次のように述べました。
 「『死ね』が、いい言葉だなんて私も思わない。でも、その毒が、ハチの一刺しのように効いて、待機児童問題の深刻さを投げかけた。世の中を動かした。そこには言葉の力がありました。お母さんが、こんな言葉を遣わなくていい社会になってほしいし、日本という国も日本語も、心から愛しています。」
 世の中を動かすならば、言葉の暴力も大いに賛美するという宣言です。それでいて自分は歌人だなどと言って憚らない。この人も、やはりまもとな日本人とは言えないようです。

 最近、まともな日本人の対極にある日本の政治家の発言が物議を醸しています。
 社民党副党首の福島瑞穂参院議員です。氏は去る15日、先の大戦で亡くなった身元不明の戦没者の遺骨が納められた千鳥ケ淵戦没者墓苑で開かれた市民団体主催の「戦争犠牲者追悼、平和を誓う8・15集会」に出席。
 そこで、氏は映画を引き合いに、次のように挨拶したそうです。
 氏のブログから引用します。

 「『ロードオブザリングー指輪物語』の中で、死者の人たちが地中から蘇り、力を合わせて共に戦う場面があります。わたくしは今、その場面を想起しています。主権者であるわたしたちは、戦争犠牲者の全てのみなさんと共に力を合わせて、9条改悪を止めたいのです。」

 この発言にはすでに「戦争犠牲者をゾンビ扱いするとは何事か」「ネクロマンサー気取り」等々、批判も殺到しているそうですから、今さら言うほどのことでもないかも知れませんが、福島議員という人は、まともな日本人とは決定的に「死生観」が異なることがわかります。
 よくもまあ、戦没者の墓前で抜け抜けと死者を冒涜できるものです。
 
 彼ら戦争犠牲者が千鳥ケ淵の地中から甦って、9条改悪を阻止せよなどとデモ行進を始めることはあり得ません。
 ただし福島氏は早晩、神慮によって、自らの言葉の責めを負うことになるでしょう。

posted by 田中ゆうたろう at 11:36| Comment(3) | 日記

2017年07月22日

「お盆」再考

 今日は子供達を連れて、地元町会の西瓜割りと商店街の夏祭りにお邪魔させて頂きました。いやはや、子供達の喜んだこと!3歳の姉も2歳の妹も大興奮でした。お陰様で、一家で夏を満喫させて頂きました。お世話になった皆様、有難うございました。

 夏と書きましたが、正確には今は夏から秋へと変わりゆく「夏の土用」の最中であり、間もなく秋がやってきます。そういえば、暑い盛りではありますが、朝のラジオ体操に出かける時など、そこはかとなく秋の気配を感じることが増えてきました。

 さて、最近つくづく考えさせられているのが、「お盆」についてです。お盆とは、本来は初秋に行われる日本の祖先の霊を祀る一連の行事。日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事です。
 先日、京都の知人と電話で話をしており、たまたまお盆のことに話題が及んだのですが、何か話が噛み合わないのです。お互い考えてみたところ、それはお盆の季節が京都と東京で全く違っているところから来るものだということがわかりました。
 京都の方からすれば、東京のお盆は感覚的に早過ぎるのです。
 これは、明治6年の新暦採用の結果でしょう。まだ冬の真っ最中に「新春」などと年賀状に書き込んだり、珍しくも何ともない新暦5月の晴れ空をお天気キャスターが「今日も見事な五月晴れでしょう」などと言ってみたり(もちろん「五月晴れ」は旧暦5月、つまり梅雨の合間の晴天を指すわけです)…。
 新暦採用に伴う「季節感の混乱」は、現代日本人の生活の至るところに見受けられるのですが、「お盆」はその最たるものかもしれないと最近感じています。
 「お盆」は現在、@旧暦7月15日(旧盆)…沖縄・奄美地方など、A新暦7月15日(もしくは前後の土日)…東京など関東地方ほか、B新暦8月15日(月遅れの盆。Aの地方では旧盆とも)…ほぼ全国、Cその他(8月1日など)、以上4つのうちのいずれかで行うことが多いようです。
 かつては旧暦7月15日を中心とした期間に行われていたのですから、@が最も古態をとどめていると言えるかも知れません。しかし、多くの日本人が新暦に馴染んでいる今日、新暦の日付で行うことも自然の流れとして理解できなくもありません。
 しかしいずれにせよ、お盆という日本人にとって極めて重要な行事が、地方によってばらばらというのはやはり残念なことだと私は思います。
 地方によってばらばらということが、お盆の季節感、ひいてはお盆の定義自体を曖昧にさせてしまっているのではないかと考えるのです。

 「盆と正月が一緒にきたようだ」とまで言われる、日本人にとって特別な日、「お盆」。
 「海の日」「山の日」など、新たな国民の祝日が制定される一方で、ともすれば「お盆」が形骸化してしまっていないか、これからの盆踊りシーズンに今一度、再考したいと思います。

posted by 田中ゆうたろう at 19:49| Comment(2) | 日記

2017年05月13日

保守政治家としての本分を思い出して頂きたい

 「都議選の結果は、今後の憲法改正に影響する。自民党は都連も含めて一体なわけで、安倍晋三・党総裁の下で(憲法改正を)進めるためには、都議選で勝たなければ、総裁が示した2020年の憲法改正にも大きく影響する。やはり(改憲の動きと)連動する都議選になる。」

 これは今日、自民党東京都連会長の下村博文・同党幹事長代行が、安倍首相(党総裁)が目指す2020年施行の憲法改正について述べた見解です。こうした発言を聞くにつけ、やはり今夏の都議選で、自民党を勝たせるわけには行かないと決意せざるを得ません。
 9条1項・2項に手をつけぬまま、自衛隊を明文化する。つまり、自衛隊を現状よりさらに無力化する安倍氏の憲法改正論は、ありていに言って邪道中の邪道です。自民党内からもすでに批判が噴出している(石破茂氏、伊吹文明氏ら)ように、保守の立場から言っても安倍氏の改憲論など、到底認められるものではありません。
 安倍氏と言えばすなわち真正保守であると見なすことは、今となっては疑問符が付くと言わねばなりません。安倍氏は各方面に譲歩を重ねるあまり、保守政治家としての本分を見失い、いつの間にか変質を遂げてしまったようです。
 安倍氏は石破氏や伊吹氏らの批判に、真摯に耳を傾けるべきです。

 安倍氏の変質を知らせるサインは、実はこれまでにも何度かありました。一昨年の「戦後70年安倍談話」及び「慰安婦問題日韓合意」などは、その代表的なものでしょう。破棄すべき河野談話・村山談話を踏襲し、日本の戦争を一方的に侵略と見なす自虐史観に加担してしまったのですから、失望した方も多かったでしょう。
 しかし、それ以上に私が重大視していることがあります。それは、安倍氏が今年3月27日の参議院予算委員会で、尖閣諸島における公務員常駐を検討するとしていた自身のかつての発言について、「現在はその選択肢はとっていない。」と述べたことです。氏は平成24年の自民党総裁選で、尖閣における公務員常駐の検討を訴えていたではありませんか。
 この訴えを信じたからこそ、当時自民党員だった私(現在は無所属)は、氏に一票を投じたのです。
 そして私は、参院予算委での氏の発言を聞き及び、氏にひとたびの別れを告げる日はそう遠くないことを予感しました。そして、ついにその日が来たのです。
 政府は昨日、1819年に当時の琉球王族が尖閣諸島に上陸していたことを示す資料が見つかったと発表しました。これまでに確認された最も古い1845年の英国人上陸記録をさかのぼることになり、内閣官房領土・主権対策企画調整室は「日本と尖閣が無関係だったとの中国の主張への反証となる」としていますが、残念ながらこれだけでは何の安心材料にもなりません。

 尖閣に公務員を常駐させることさえ出来ない日本政府。その政府が主導する「日本国憲法」改正案など、もとよりろくなものになるはずがないのです。安倍氏も、また安倍氏の下で憲法改正を進めるという今夏都議選の自民党公認候補予定者らも、私は信じません。
 氏には、保守政治家としての本分を思い出して頂きたいと思います。

 とはいえ、都議会自民党の対抗勢力は、果たして信頼に足るか否か?そこは依然、慎重な見極めが必要です。

posted by 田中ゆうたろう at 22:46| Comment(4) | 日記