2016年06月17日

久我山地域住民からの陳情が不採択に

杉並区議会には、区立久我山東原公園への保育施設建設計画の見直しを求める、地元住民からの陳情2件が出されています。
しかし、先日行われた保健福祉委員会で、杉並区議会自由民主党、杉並区議会公明党、区民フォーラムみらい、いのち・平和クラブ、以上4会派の反対多数により、残念ながら不採択となってしまいました。

そこで、昨日の本会議で、私の意見を発表しました。以下、その内容を抜粋してご紹介します。
少し長くなり、また細かい話も出て来ますが、区民の方はもちろん、区外の方にもぜひお付き合い頂ければ幸いです。

両陳情については、採択とすべきであり、以下、理由を申し述べます。
私は、先に行った一般質問の中で、『久我山東原公園のような光景こそ、杉並区の聖域であり、命がけで守り抜かねばならぬものと思う』との旨を申し述べました。この際、私は聖域という言葉を、一種の比喩として用いておりました。
その後、『世代を超えて地域を見守っている地元自治会が行事等で、活動の中核施設として当該公園を利用している』との両陳情の内容に触発され、私自身、改めて調査を試みたところ、当該公園所在地すなわち久我山5丁目12番、及びその周辺地域は、単なる比喩ではなく、実際に聖域として、極めて古くから存在していた可能性が高いことがわかりました。

(写真を理事者席・議員席に提示し)これは、久我山5丁目2番から出土した、縄文時代中期のものと推定される石棒の写真であります。平成12年、考古資料として区の有形文化財に指定されております。区教育委員会の解説によれば、『本資料は、昭和45年から翌46年にかけて、久我山5丁目2番13号で行われた工事の際に、縄文土器片とともに出土したと伝えられる石棒である。石棒は、縄文時代に行われていた祭祀に用いられたと考えられている遺物であり、石棒を用いた祭祀は火との関わりの強さが認められているほか、広く生産関係の祭祀に使用されていたものと考えられる。本資料は、区内から出土した石棒の中では最大の大きさであり、石棒を用いた縄文時代の祭祀を研究する上で貴重な資料である』とのことであります。
この区教委の解説を裏書きするように、平成6年、久我山東遺跡B地点発掘調査団が発行した『東原遺跡 都営富士見丘住宅改築工事にともなう埋蔵文化財包蔵地の発掘調査報告書』17ページには、当該公園所在地を含む久我山5丁目11〜13番にかけて、また同じく14〜18番にかけても、各1件、合計2件の縄文時代の石棒が出土している状況が示されております。こうした石棒の出土状況は、久我山2丁目の向ノ原遺跡ほか久我山1〜4丁目、また高井戸東、高井戸西に点在する周辺遺跡群には全く見受けられず、久我山5丁目の東原遺跡群に限って確認される特徴的なものであります。
以上のことから、当該公園所在地を含む久我山5丁目の東原遺跡群は、縄文時代、何らかの祭祀場として用いられていた可能性が高いことがおわかり頂けるかと思います。

さらに、時は降って現代、当該公園は、久我山一帯の氏神である久我山稲荷神社の例大祭で、神輿巡行路の最東端の折り返し地点に存在する神酒所として、地元の方々に大変大切に用いられております。言うまでもなく、神酒所とは祭礼の節、神輿にお遷りになった御神霊に、神酒をはじめ神饌をお供えする聖なる場所のことであります。
かつて地主さんの畑であった当該公園所在地が、区民農園を経て、今や子供から大人まで世代を超えて親しまれ、祭りの日には氏神までもがお出ましになる、その名も当地域の字を冠する『東ノ原神酒所』として今日に至ることは、縄文の昔に思いを馳せれば決して偶然ではなく、むしろ自然の帰結として十分に理解されるところであります。
有史以前に祭祀場であった場所に、後世になって寺や神社が建てられ、そこがもともと神聖な土地であった痕跡をしばしば留めていること、また現在各地の年中行事に見られる信仰の起源が、往々にして縄文時代に遡り得ることは、すでに多くの考古学者、宗教学者、民俗学者らによって指摘されております。

要するに、昔その土地の人々にとって大切だった場所は、今もその土地の人々にとって大切な場所であり続けているということであります。当該公園所在地は、古来、地域の人々が祭りに用いてきた聖域であり、行政は、こうした場所を、迂闊に冒涜すべきではありません。

区は、今般の『すぎなみ保育緊急事態宣言』なる一連の文章の中で、『学校・公園等の一部を聖域なく活用し、保育所として転用します』などとつづっておりますが、『聖域なく』というのであれば、こうした正真正銘の聖域を犯す前に、限られた区有地を真に有効活用すべく、各種行政需要の優先順位を徹底的に吟味すべきであります。
顕著な一例として、旧永福南小学校跡地のビーチコート整備案などはもはや抜本的に見直すべき段階にあることを、文化芸術・スポーツに関する特別委員会でも指摘致しました。ビーチのない杉並になぜビーチコートが必要なのか、これまでも一抹の疑念がなかったわけではありません。しかし区による公園狩りが始まろうとしている今となっては、一抹の疑念どころで済む話ではなくなりました。

ビーチバレーと児童福祉法24条、どちらが上かは、それこそこれまでの区の姿勢からも明らかではありませんか。聖域なく保育所に転用すると言っておきながら、学校跡地にビーチコートを作ろうなどというのは、まったく矛盾しているではありませんか。学校跡地といえば、地域で子育てを支えるということに、長らく地元のご理解を頂いてきたせっかくの好適地ではありませんか。区長、あなたはこのままでは、保育所不足に悩む新宿区の都有地を韓国人学校の増設用地として同国政府に貸し出そうと画策し、結果まさに罰が当たったとしか言いようがない舛添都知事の二の舞を演じることになるのではありませんか。

さも就労女性に寄り添い、待機児童問題に真摯に取り組むかのごとく見せかけて、その実、片や韓国大事、こなたビーチバレー大事。民意を無視して顧みぬ増長慢は、いつか天罰を招くのであります。
区長だけではありません。公園狩りを容認・推進する議員、これに携わる役人はもとより、関係予定者は全員、来月行われる久我山稲荷の湯の花神楽で、お祓いを受けた方が宜しいのではないでしょうか。

思うに、保育園増設のためと言えば何を言っても何をやっても許される、そのような錯覚に一部の政治家は取り付かれているのではないでしょうか。今年2月、『保育園落ちた日本死ね』というネット上の匿名の書き込み、すなわち一種の流言飛語を根拠に保育所増設を政府に迫った民進党の山尾志桜里衆議院議員と、保育園を建てるために公園をつぶそうと言う民主党出身の田中良杉並区長は、ある意味で、とてもよく似ております。山尾氏は根拠を示したいのであれば、国や自治体に出されている正規の要望書を取り上げるべきでありました。

山尾氏も、田中区長も、双方ともに、待機児童解消という錦の御旗を掲げさえすれば、どのような暴言も暴挙も許されると誤解しているのではないでしょうか。日本という国が死ねば、当然のことながら待機児童解消どころではなくなる。公園をつぶせば、子育て支援のつもりが、かえって本陳情の指摘どおり子育て環境の質を落としてしまうことになる。その皮肉に、どうやらお二人ともいまだに気付いておられない。気付くどころか、どうもご自分は弱者の味方だ、というふうに勘違いをしておられるふしさえ見え隠れする。
この間、区は『譲り合い』という言葉を多用しておりますが、実際は地元に対し一方的に『譲れ』としか言っていないわけで、『譲り合い』とは盗人猛々しい。
『断腸の思い』という言葉も、公園を奪われようとしている側の台詞であって、あなた方奪おうとする側の台詞ではない。悪党が『断腸の思いだ』とうそぶきながら、弱い者に殴る蹴るの暴行を働く図にしか見えません。
いずれも、本当の弱者の味方が使う言葉ではありません。

縷々述べて参りました。当該公園所在地が古来果たしてきた聖域としての性格を考えれば、地域の方々がこの公園に特別な思いを寄せておられることは至極当然であり、代替地など他に見つかろうはずがありません。取り返しのつかぬ禍根を残す前に、改めて当該公園への保育施設建設計画を白紙撤回するよう強く主張するものであります。
我々の仕事は、まつりごとではありませんか。
地域の伝統行事を守り、子供達にふるさと杉並を残すため、本陳情は採択すべきものと考えます。」

以上、お付き合い頂きありがとうございました。
上記のように意見を述べたのですが、採決の結果、杉並区議会自由民主党、杉並区議会公明党、区民フォーラムみらい、いのち・平和クラブら諸会派により、改めて不採択となってしまったことは、返す返すも残念です。

posted by 田中ゆうたろう at 07:04| Comment(2) | 日記

2016年06月02日

過ちを改むるにはばかることなかれ

東京23区内のある町に、古い塚が残されています。塚の名前は現在、町の名前の起源にもなっていますが、ここでは伏せておきます。
塚の由来は諸説あるそうですが、もともと大小2基あり、大正時代、この土地の地主であった某家がそのうちの一つを取り壊したところ武具が見つかり、その後、その家の当主と工事担当者が奇病に取りつかれ、武具を埋め戻したところまもなく快復したことから、残された塚の上に神社が創建されたとのこと。
なかなか興味深いエピソードです。

ところで、先月、杉並区長から突然、「すぎなみ保育緊急事態宣言」なるものが発せられました。
マスコミ報道でご存知の方も多いと思いますが、この宣言には「公園等の一部を聖域なく活用し、保育所として転用します」との文言が記されています。
ここで言う「公園等の一部」とは、「公園等における敷地の一部分」という意味にとるのが普通でしょう。

しかし、実はまったく正反対の意味だったことが、この宣言から数日後に策定された「待機児童解消緊急対策」の中で示されることになりました。
向井公園(杉並区下井草)が、敷地をまるごとつぶして認可保育所に転用する予定であることが、判明したのです。
つまり、杉並区が持つ「一部の公園等」をつぶすという意味だったのです。
これ一つ取ってみても、この「緊急事態宣言」には区民の目を欺くためのゴマカシがあることがわかります。


さらに見逃せないことは、この「緊急事態宣言」では、平成29年4月待機児童予測値を500人超としているのに対し、そのわずか数日後に策定された「緊急対策」では、すでにこの数字が560人超と、12%も膨れ上がっていることです。
誤差というには大き過ぎる数字です。これでは、根拠がないと言っているようなものです。


理解に苦しむところは、他にもあります。
「緊急事態宣言」によれば、平成27年4月1日現在の認可保育園整備率は23区中20位であることが強調され、保育所整備の必要性を訴える重大な根拠とされているようです。ここで言う認可保育園整備率とは、就学前児童人口に対する認可保育所定員数の割合を指しているそうです。

しかしながら、就学前児童を預かる保育施設は、認可保育所がすべてではありません。
園庭のない保育施設の子供達はもちろん、区立・私立の幼稚園の子供達。
そして、他ならぬ認可保育所の子供達にとっても、公園は不可欠の遊び場なのです。
また小中学校、高校の児童生徒にとって、どれだけ公園の存在が必要とされているか。
もちろん、保育園児もじきに小学校に上がる日が来るのです。
さらに、公園を必要とする大人も数多くいることを忘れてはなりません。夜間や早朝に公園を利用する方々も大勢おられます。お年寄りやハンディキャップをお持ちの方々にとっても、公園は生活していくために欠かせない大切な場です。


質の高い住宅都市を標榜する当区が、こうした区民共有の財産をないがしろにして許されるはずがありません。「苦渋の決断」「断腸の思い」など、人を馬鹿にしたような空しい区長や役人達の言い訳はもう聞き飽きました。

認可保育園整備率が23区中下位に甘んじているという、ただその一事をもって、公園の敷地一部(杉並区久我山の久我山東原公園や、同区高井戸西の高井戸みどり公園)、向井公園に至っては敷地全部をつぶして認可保育所に転用することは、認可保育所増設の大義のもとであれば他の行政需要を犠牲にしてもいっこうに構わないという、言わば「認可保育所絶対主義」「認可保育所至上主義」「認可保育所原理主義」とも呼ぶべき甚だ乱暴な態度であると思います。

確かに、待機児童解消が自治体に課せられた責務であることは理解しています。
しかし、だからと言って何をやっても良いのでしょうか。行政とは、果たしてそんなに単純なものなのでしょうか。


「待機児童解消」と言えばどんな暴挙も許されてしまい、「そろそろ立ち止まろう」「ちょっと見直そう」などと言い出すこともはばかられる雰囲気。今さら勇気をもってそんなことを言い出そうものなら、「働く女性を認めないのか」「女性の社会進出を阻むのか」「伝統的な家族観にいつまでしがみつくのか」などと袋叩きにされる雰囲気。

先の「緊急対策」は、先月突然開かれた臨時議会において、当事者である地域住民に知らされる前に、杉並区議会自由民主党、杉並区議会公明党、区民フォーラムみらい、いのち・平和クラブ等諸会派の賛成多数により、可決してしまいました。
あえて言いますが、近ごろの杉並区は、戦争に突入する国家、あるいは突入してもずるずると止められない国家に似てきました。
権力者の独裁と、それを野放しにする翼賛体制の思考停止というものを、私は最近、現区政の姿から真面目に連想しているのです。

どう控えめに表現しても拙速の極みであり、この緊急対策を容認することは、今なお断じてできません。

このままでは、地域で子供を育てるどころか、確実に区民の間に深い禍根を残します。
これまで手足のごとく、水や空気のごとく、自分達の生活の場として親しんだ公園を、ある日突然、区長の待機児解消の大号令のもとに奪い去られるやり場のない怒り、悲しみ。
今回の強引な区の進め方によって地域に残った傷が簡単に癒えると区当局は考えているのでしょうか。これだけの住民の反対の中で建てられる保育所に通う子供の気持ち、保護者の気持ちを区当局はどう考えているのでしょうか。
もちろん、住民の方々も好き好んで反対しておられるはずがありません。地域で子供を育てたいお気持ちはやまやまでしょう。やまやまだからこそ、反対せざるを得ないのです。この辛い苦しいお気持ち、役人は理解できるでしょうか。

子育ての考え方、ご家庭のおかれた事情は一様ではありません。
ニーズも多様です。
多様であることを認めてもらいたい。
公園をつぶすということが、皮肉なことに、子育て環境の質の低下をかえって招いてしまうということに、どうか気付いてもらいたい。
気付けるか、気付けぬか。杉並区は、今ここに正念場を迎えています。
地域の理解が得られない中での園生活を親や子供達に送らせないためにも、そのことを杉並区は今少し自覚したほうが良いと思います。


冒頭に、古い塚のお話をしました。その土地の地主さんも、「壊せば何かあるなどという科学的な根拠があるわけでもない。苦渋の決断、断腸の思いだが、時代の進展を思えばやむを得ない」と思って取り壊したことでしょう。その結果は先に述べました。残された塚は、現在、立地区の指定史跡になっているとのこと。
こうしたエピソードを見るにつけ、なるほど、聖域というものは確かに存在するのだと思い知らされます。
先日の夜も、向井公園では、中高生が父親とともに運動を楽しんでいました。また久我山東原公園では、近づいた火星を見に来たという久我山小学校の4年生が、「ここはみんなの絆と思い出の場所。木と木の間や鉄棒をゴールにしてサッカーをしたりリレーをしたり、この公園があったからこそできたこと。保育園を増やしてという声もわかるが、ここがなかったら俺たちの遊び場はどうなる?こっちの気持ちも考えて」と話してくれました。
こうした光景こそ、私は杉並区の聖域であり、命がけで守り抜かねばならぬものと思います。
過ちを改むるにはばかることなかれと、昨日の定例会一般質問を通じて杉並区に訴えました。

公園を贄(にへ)に子らこそ救ふてへ まことの贄は子らにぞありける

posted by 田中ゆうたろう at 23:43| Comment(15) | 日記

2016年03月13日

震災犠牲者に恥じない日本を

先週土曜日、房総半島九十九里浜近くの玉前(たまさき)神社というところに出かけました。
海の神様である玉依姫命(たまよりひめのみこと)をまつるこの神社、手元の郷土史の本(『東京・和田大宮の研究』萩原弘道氏著)によると、どうやら私の地元である杉並区和田の氏神・大宮八幡宮のルーツに当たるということで、私は前々からこの神社にお参りしたかったのです。
私は、この本を読むうちに、和田は海神(わだつみ)の「わだ」で、昔房総半島からやってきた海の民がこの地に居着いたために和田と名付けられたのではないか、と考えるようになりました。
先日、議会で杉並の民俗学を取り上げた私としては、ぜひとも行っておきたかったのです。

さて、玉前神社に到着し、お参りを済ませた私の目に飛び込んできたのは、周辺に貼られたポスターでした。神社の近くに東漸寺という古いお寺があり、そこで波切祈祷会という法要が行われるというのです。「東日本大震災から5年 今、あなたは何を想いますか?海と共に生きる皆さんの『海難除け』を祈願し、お札をお配り致します」とのこと。開催日時を見れば3月12日13時45分から、つまり間もなく始まるということで、急遽参加させて頂くことにしました。
現在は曹洞宗ですが、ご本尊は波切不動明王(秘仏)とのことで、もとは密教のお寺だったそうです。厳粛な法要の後、私もご本尊の前でご焼香させて頂きました。

お寺から出ると、私は一路、九十九里浜の海岸に向かいました。そして、東北に向かって改めてお経を上げさせて頂きました。
「和田」という地名をきっかけに、海辺の町の波切不動の波切祈祷会に参加させて頂いた…やはりこれも何かのご縁と思わずにはいられなかったのです。

東日本大震災で犠牲となられた方々は、今、どういう思いでこの国を見ておられるか、考えました。
私達は、彼らに恥ずかしくない生き方を出来ているかどうか。
巷では、インターネット上に「日本死ね」などと書き込む不心得者や、そんな便所の落書きをおだてる愚かなマスコミ、便所の落書きにいちいち振り回される愚かな政治家があとをたちません。
事情はどうあれ、「死ね」というほど日本が嫌なら、日本に住まなければ良いのです。
たった5年前の震災で2万人近くの方が無念のうちに命を落とされたにもかかわらず、よくも「日本死ね」などという暴言を思いつくものです。
右往左往する票乞食たちもみっともない。無視すればいいだけの話ではありませんか。

だいたい、イクメン議員をもてはやした連中と、「日本死ね」を持ち上げている連中は、面子がほぼ同じです。このことがすべてを物語っています。

浜辺で手を合わせながら、震災犠牲者に恥じない日本を作っていきたいと強く念じました。

posted by 田中ゆうたろう at 23:32| Comment(10571) | 日記