2015年01月20日

戦後70年に思う(続)

先日、私の地元の杉並区立和田小学校で土曜授業があり、私もお手伝いさせて頂きました。
4年生の百人一首を担当させて頂いたのですが、とてもよい内容だと思いました。
先生方も工夫を凝らされ、子供達もとても楽しんでいる様子でした。
それにしても、天智天皇や順徳院の歌を見かけるたびに思い出してしまうのが、このブログで前回も取り上げた、天皇陛下の昨年のお歌のことです。

「爆心地の碑に白菊を供へたり忘れざらめや往(い)にし彼(か)の日を」
というこのお歌について、もう一度考えてみたいと思います。
前回は、「不敬中の不敬を承知で書きますが、もし私ならば『往にし彼の日を』ではなく『永久(とわ)にこの日を』と詠むでしょう」という趣旨を述べたのでした。
実は、このお歌の中でもう一か所、気になるところがあります。
「忘れざらめや」です。
宮内庁の解説によれば、このお歌は
「昨年10月、天皇皇后両陛下は長崎県におでましになり、原子爆弾の爆心地に建立された碑に花をお供えになった。今年が原爆による被災から70年を迎える節目の年であることに思いを致され、『原爆の惨禍を忘れてはならない』とのお気持ちを込めて花を供えたことをお詠みになったもの」
とのことです。

しかし、「忘れざらめや」という表現では「忘れないだろうか、いや、きっと忘れるだろう」という意味になってしまいます。
「ざら」「めや」と否定語を2回使うことによって、二重否定、つまり肯定の意味になってしまうのです。
これを「忘れてはならない」という意味に強いて用いるとすれば、他に類例を見ない、破格の新用法ということになるでしょう。何人かの専門家にも確認しましたが、同意見でした。
この件について宮内庁に問い合わせたところ、庁として特に申し上げることはないとの回答でした。

長崎原爆の日を「往にし彼の日」、つまり「過ぎ去った遠い過去の日」と扱うことによって、「だから決して忘れてはならない」とのお気持ちがたかぶり、ゆえに否定語を強調して2回もお使いになってしまわれたのかもしれません。
多感なお年頃に終戦を迎えられ、父君昭和天皇とともに激動の時期を歩まれた陛下には、戦後生まれの私などには想像もつかぬ深いお気持ちがおありなのでしょう。
遠い過去扱いすることによって、今は違うのだ、戦争は二度と繰り返してはならないのだと、ひたすらに平和を祈念されるお気持ちは拝察するにあまりあります。
しかし、そうであるならばなおのこと、私であればやはり5句目を「永久にこの日を」とするでしょうし、4句目は「我は忘れじ」とするでしょう。
決して遠い過去ではないから、否定語は1回で十分だろうと私は思います。

国民として、また原水爆禁止署名運動発祥の地杉並に住む者として、あえて申し上げます。
誠に恐れ多いことではありますが、陛下のこのお歌を悲しいと感じるのは果たして私だけでしょうか。
そこで一首。

すめらぎはなどて八月九日を「往(い)にし彼(か)の日」と詠みたまひけむ
posted by 田中ゆうたろう at 14:01| Comment(3) | 日記

2015年01月02日

戦後70年に思う

皆様には清々しく新春をお迎えのことと存じます。

昨年は、杉並区長が再選されました。大いに期待を寄せつつも、単なる追認機関に堕することなく、区民の立場から提言を行うことが議会人としての責務であると信じます。

杉並は名所旧跡に乏しいといわれる中、新たな観光資源の発掘を訴えてきた私にとしては、昭和の歴史の舞台となった近衛文麿旧邸(荻外荘)の敷地を区が公園用地として取得したことを、大いに評価したいと考えます。
また、全国初となる自治体間連携による特養ホーム整備の基本合意書を、南伊豆町及び静岡県とともに締結したことも、一定の評価をしたいと考えます。

一方で、課題も見受けられました。
保育所整備は喫緊の課題ではありますが、同時に、良好な住宅都市杉並にあっては、閑静な住宅街との調和が必要です
さらに、区の生活過保護は依然として看過できません。区の会計額全体から見れば、小さな額に過ぎないとの見方もあるでしょう。しかし、果たして額の問題でしょうか。正直者が馬鹿を見るような施策は、改めていかなければなりません。
働く喜び、家族の絆。私は今年も保守の本分を貫いて参ります。

さて、今年は戦後70年。歴代内閣の歴史認識をそのまま引き継ぐことは、もはや限界でしょう。新たな史実が発見されれば、当然それによって歴史認識も改めなければなりません。
昨年、朝日新聞はいわゆる従軍慰安婦に関する自社報道を誤報と認めました。
私は、新たな安倍談話に期待します

一方、宮内庁は新年にあたり、天皇陛下が昨年詠まれたお歌数首を発表しました。その中に、次の1首があります。

 爆心地の碑に白菊を供へたり忘れざらめや往(い)にし彼(か)の日を

今年が原子爆弾被災から70年経つことを思われて詠まれたものです。原爆犠牲者に対する、いつまでも尽きることのない哀悼のお気持ちが深く伝わるお歌です。
ところで私は、このお歌を拝読して、「戦なき世を歩みきて思ひ出づかの難き日を生きし人々」という陛下のお歌も思い出しました。これは今からちょうど10年前、終戦60周年を迎えるにあたり、新春「歌会始の儀」で詠まれた陛下の御製で、今も千鳥ヶ淵戦没者墓苑内の歌碑に刻まれています。
この2首に共通して見える「彼(か)」「し」という2つのお言葉。
まず「彼(か)」、これは遠いものを指し示す代名詞です。「此(こ)」の反対です。
次に「し」、これは過去を意味する助動詞「き」の連体形です。

私はしかし、大東亜戦争は、遠い過去ではないと思います。私はまだ生まれていないけれども、つい昨日の出来事ではないかと思っています。
犠牲者のご遺族や、いまだに後遺症に悩む方々がおられるのです。

そこで不敬の上にも不敬を承知で書きますが、もし私であれば、「往にし彼の日を」ではなく、「永久(とわ)にこの日を」と詠むでしょう。

陛下は、新年に当たってのご感想で、戦後70年について触れられ、
「この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」
と述べられました。
まさに仰せの通りです。私の生まれた昭和50年、時の首相三木武夫の失言によって靖国神社参拝が政治問題化してからこのかた、天皇皇后両陛下の行幸啓がひっそり絶えていることは、この国の来し方行く末を思うにつけて、寂しい限りと申さねばなりません。
他の皇族方はそれ以降も絶えることなくご参拝あそばされ、一昨年には安倍首相も凛として参拝されました。
首相の参拝が定着し、国内外で大きな波乱がない状態が固定されることを待つというのが、本来の理想ではありましょう。
しかし、その理想は、果たして実現の日を見るのでしょうか。

日本のために尊い一命をなげうった英霊は、今この瞬間にも陛下のおなりを、静かに静かに、しかし心から待ちわびておられることでしょう。
重ねて記します。大東亜戦争は遠い過去ではありません。
荻外荘も、そのことを私達杉並区民が考えるよいきっかけとなることを祈っています。

本年も皆様のご多幸をお祈りしつつ、1首。

 杉並や過ぎにし日々を思ひつつ心新たに春を迎へぬ
posted by 田中ゆうたろう at 15:41| Comment(2) | 日記