2015年02月22日

娘のおむつを替えながら

 私事ですが、我が家には生後9か月になる娘がいます。この頃、這い這いを覚え、本や書類を破る、仏壇にいたずらするなど、我が家は毎日が戦争のようです。
 そんな中、一つの発見がありました。
 なぜか、おむつから漂ううんちの臭いには、妻より私の方が先に気が付くことが多いのです。
 そのため、私がおむつを替えてやることも多くなります。
 すると、面白いことに娘は、うんちをすると妻より私のところにやってくるようになったのです。これは、父親としてうれしいものでした。
 この様子を見て、妻は若干危機感を持ったらしく、以前より注意して娘のおむつに鼻を利かせるようになりました。

 もちろん、授乳を介した母と子の濃密な関係には及ぶべくもありませんが、父親には父親なりの育児参加の方法があることを、体験的に知りました。
 その意味では、しばしば言われているように、「イクメン」という言葉自体がすでにナンセンスかもしれません。そんな言葉は早いところ死語になるよう、父親も当然、育児に参加すべきです。
 ちなみに私の育児参加度は、妻の採点では75点から80点程度とのことです(若干のお世辞もあるかもしれませんが)。

 妻からそこそこの点数をもらえたからいうわけではありませんが、私は、育児のために自分の楽しみの時間はかなり削っています。
 たとえば、大好きな水泳には、ほとんど行けなくなりました。
 かわりに、短歌を詠む回数が増えました。

   せんべいをおもちやの如く食ひ散らし
   得意満面吾子(あこ)が歯生え初(そ)む

 育児には、気力も体力も相当使います。妻には到底かないませんが、私もへとへとになります。
 娘の日々の成長が何よりの報酬です。私は娘を授かって、世の親御さん達がいかに尊い役割を担っているか、改めて実感し直しました。

 現在、日本の少子高齢化が大きなテーマとして論じられています。
 しかし、語弊を恐れずに言えば、事情はどうあれ子育てに積極的に参加してこなかった方が、得々と少子化の弊害を論ずる姿に、私はいささかの違和感を覚えます。
 論じるなとはいいません。ただ、やはり相当の想像力を働かせないと、机上の空論に終わるのではないでしょうか。
posted by 田中ゆうたろう at 22:42| Comment(11) | 日記

2015年02月08日

清麻呂や顕家のひそみにならって

 私は、先月このブログで2回にわたり、昨年今上陛下がお詠みになった御製について取り上げました。1月1日、宮内庁から発表された数首のうちの一首です。
 このお歌について、改めて考えてみたいと思います。

  爆心地の碑に白菊を供へたり忘れざらめや往(い)にし彼(か)の日を ※括弧内は振り仮名

 私は、国民として、また原水爆禁止署名運動発祥の地杉並に住む者として、誠に恐れ多いことながら、このお歌を大変悲しく感じています。
 このお歌の下の句は、現状のままでは「忘れないだろうか、いや、忘れるだろう。過ぎ去った遠いあの日を」という意味だからです。 

 宮内庁の解説によれば、このお歌は「天皇皇后両陛下は、本年十月、第六十九回国民体育大会御臨場等のための長崎県行幸啓の折、原子爆弾の爆心地に建立された碑に御供花になった。この御製は、来年が原爆による被災から七十年を迎える節目の年であることに思いを致され、原爆の惨禍を忘れてはならないとのお気持ちを込めて御供花になったことをお詠みになったもの。」とのことですが、「忘れざらめや」という表現は「忘れないだろうか、いや、忘れるだろう」という意味に他なりません。
 これを「忘れてはならない」という意味に用いるとすれば、他に類例を見ない、破格の「新用法」ということになるでしょう。
 この件について宮内庁に問い合わせたところ、庁として特に申し上げることはないとの回答でした。

 しかしながら、この「忘れざらめや」は果たして本当に陛下の「新用法」なのでしょうか。
 宮内庁の「忘れてはならないとのお気持ちを込めて」云々という解説こそが誤りであって、陛下はもとより「忘れるだろう」という意味でお使いになっているのではないでしょうか。
 「過ぎ去った遠い過去は、いつかきっと忘れることができるだろう。」
 そのような、いわば古傷を癒すようなお気持ちで、このお歌を詠まれたのではないでしょうか。
 「今は昔と違うのだ、もう二度と戦争を繰り返してはならないのだ」という陛下の強いお気持ちがあふれ出たお歌なのかもしれません。

 ある意味では、尊いお歌なのでしょう。
 しかし、私はやはり、このお歌を悲しく感じます。
 勇気あるご聖断(本来申し上げるべきことではありませんが、切腹覚悟で申し上げるならば、お手直しまたはお取り下げ)を賜りたいとさえ存じます。
 天皇陛下に対し何らかの改善をこいねがうことは、しかし、必ずしも不敬とは言い切れません。このことは、歴史を見ればよくわかります。かつて和気清麻呂は称徳天皇に、北畠顕家は後醍醐天皇に思い切った方針の改善を進言しました。保身に走ることなく、あえて天皇に進言した清麻呂や顕家こそ、真の忠臣だったのです(念のために付け加えておきますが、私は自分が真の忠臣だなどと主張したいわけではありません)。

 これまでにも、今上陛下には憲法や国旗国歌をめぐり、かなり政治的に踏み込んだご発言が見受けられ、そうしたご発言が左翼勢力に利用されかねないことを、私は内心とても憂えてきました。
 しかし今回は程度が違うと思います。国の象徴(自民党の憲法改正草案では国の元首)がこうした詩歌を作られ、また国民もそれを見て何の疑問も抱かないという今日の日本の精神風土は、いずれ大きな災禍を招くでしょう。
 否、すでに招きつつあることは、国際テロ組織による先の邦人殺害事件が明瞭に物語っていると痛感します。

 今ほど、先の大戦を私達日本人自身の命題として正面から受け止める必要に迫られている時はないでしょう。 
 戦後70年。一介の国民たる首相ではなく、今上陛下の靖国神社ご親拝が待たれます。
 日本のため尊い命をなげうった靖国の英霊は、今の日本を見て、さぞ嘆き悲しんでいるだろうと思うからです。
posted by 田中ゆうたろう at 20:13| Comment(2) | 日記