2015年10月01日

子供の声を騒音と思われないために

朝日新聞(9月25日朝刊)は、「保育園児の声は騒音?…35%が『同感』」 厚労省調査」と題し、次のような記事を掲載しています。

「保育園児の声を『騒音』と思うことに35%の人が同感である――。厚生労働省の調査で、こんな結果が出た。待機児童解消へ都市部を中心に保育所の整備は急務だが、近隣住民の理解を得ることも一定の壁となりそうだ。近く閣議決定される2015年版の厚生労働白書に盛り込まれる。
調査は人口減少に関する意識を探る目的で、3月にインターネットで実施。3千人から回答を得た。
保育園児の声を騒音のように思い、保育所の立地に反対する住民の立場に同感できるか尋ねたところ、『ある程度』が29・7%、『とても』が5・4%で、計35・1%が同感だった。逆に『全く同感できない』は26・4%、『あまりできない』は38・5%で、同感できない人は64・9%だった。」

保育所を整備する上で近隣住民の理解が必要不可欠であることは、杉並区でも重要な課題となっています。
しかし、私は疑問に思うのです。この35%の方々は、果たして子供の声そのものを騒音と感じておられるのでしょうか。人は誰しも、かつて自分が幼かった頃、大きな声であたりを走り回りながら、地域の大人達に見守られて育ったのではないでしょうか。
そのことを思えば、私は、この35%の方々は子供の声そのものを騒音と感じているのではなく、実際はもっと別のものを騒がしい、わずらわしいと感じているのではないかと考えるのです。

この問題について、産経新聞(9月4日朝刊)は次のような記事を掲載しています。

「騒音トラブルの解決法などを研究している八戸工業大の橋本典久教授によると、ここ1〜2年で子供の声に関する相談が急増しており、『音の感じ方には個人差がある。トラブルになるかどうかは、園と良好な関係を築いているかも関係する。園は反対意見にも誠意をもって耳を傾け、対応策を話し合う中で、地域住民と信頼関係を築く努力も必要』と話している。」

保育施設整備に当たって、地域との信頼関係を築くにあたり、保育施設整備を求める保護者達の言動が世間に与えるインパクトの大きさを改めて思います。
先の35%の方々は、子供の声そのものではなく、実際は、「子供は社会が育てて当然」と主張する一部の保護者の態度に不安を覚えているのではないか。私はそう考えるのです。

私は一昨年の2月、杉並区役所前で一部の保護者によって開かれた抗議集会を目の当たりにして、違和感を禁じ得ず、このブログに次のような趣旨を述べました。

「女性力を思い切って爆発させることは必要だと考える。仕事と子育てを真に両立できる社会を創らねばならないと願う。だが、それゆえにこそ、『子育ては本来は家庭で行うもの』という基本中の基本を忘れるべきではない。一抹の遠慮も忸怩の念もなく、声高に居丈高に『子供を持つなということか』『現状のおかしさに気付いて』などと世を恨むかのような態度は、どこかおかしい。『私達の子育てをどうか手伝って下さい』、これが待機親(待機児童の親)に求められる人としてのマナー、エチケットというものではないか。」

私のこのブログは、かなりの反響を呼びました。コメント欄には数多くの擁護論が寄せられる一方、「女の敵」「杉並の悪魔」といったわけのわからない中傷から、殺害予告とも受け取れるものまで、罵詈雑言が殺到しました。ご丁寧にも朝日新聞が2回にわたって紹介したほどです。
確かに、一部の方々には、いささかきつい物の言い方ではあったかも知れません。しかし、「謝罪しろ」というお声には、私は一切応じませんでした。
保護者側に最低限のマナーやエチケットがなければ、地域住民がそれを快く思うはずがなく、肝心要の保育所整備にも支障をきたすであろうことは、目に見えている。私は、一貫してそう考えてきたからです。

先の産経新聞の記事は、「一部の人が保育園を目の敵にしている感じもする」「ご近所の方が怖い。子供への危害がないか心配」といった母親の声を紹介しています。
その一方で、雑誌アエラ(9月28日号)は「保育園に入れないのは憲法違反だ」という趣旨の記事の中で、相変わらず街頭で抗議活動を行う子連れの母親達の写真を掲載しています。
私はこうした写真を見るたびに、マイクで絶叫する母親達の怒号を耳元で浴びせかけられる幼い子供達が気の毒でなりません。
お母さんのイライラした顔や声に触れたいと願う子供がどこにいるでしょうか。
子供の聴覚や精神に取り返しのつかない傷がつくのではないかと、私は真剣に案じているのです。

そして、保育園建設予定地の近隣住民がこの光景を見たら、一体どう感じるでしょうか。
こうした親達のために周辺の閑静な住環境が破壊されるのではないか。そう恐れる声があがるのも、私は無理からぬことと考えます。

少子化を食い止め、将来の日本を確かなものとするために、各家庭の子育てをサポートする必要があること。そのためには、どうしても保育施設が必要であること。そして子供の声は騒音といったネガティブな面だけではなく、世代間交流など町の活気や潤いにもつながるポジティブな面もあることを、地域の方々には丁寧に説明し、理解を得なけれななりません。

「一部の人が保育園を目の敵にしている感じもする」「ご近所の方が怖い。子供への危害がないか心配」というような状況では、せっかく保育園を作れたとしても、それでひと安心というわけには行きません。地域の方々が温かく見守って下さるかどうか、そのことが子供達の育ちにいかに影響するかということを考えなければなりません。

一部の左翼政党や左翼政治家、それに連なるいかがわしい学者や評論家、マスコミ等に利用されて、周りの迷惑も顧みず、街中で大音声を張り上げているようでは、地域の真の理解など得られるはずもなく、保育施設整備にも支障をきたすことは明らかでしょう。
子供の声を騒音と思われないために親が取るべき態度というものを、一部の保護者にはしっかりとわきまえて頂きたいと思います。


「この寒空の下、泣き叫ぶ赤ん坊を片手に区庁舎前でマイクを握るのも結構だが、もしも私が親ならそんな残酷なことはしたくない。家で子供に暖を取らせつつ、待機児解消のためあらゆる施策を講ずべき旨、区に陳情書でもしたためるであろう。」
私は先のブログでそう述べました。これも一部の方々にはきつい書き方だったかもしれません。しかし間違ったことを書いたつもりはありません。
今、杉並区は全力で待機児童解消に取り組んでいます。そして、保育施設整備にあたり、何とか地域住民のご理解を頂けるよう努めているところです。
そういった極めてセンシティブな時期にあるにもかかわらず、一部の保護者が左翼系のマスコミに登場し、保育所不足は違憲違憲と言い立てています。しかし、これが果たして保育所増設を望む保護者にとってベストな選択なのでしょうか。
私は率直に言って疑問に思います。むしろまったくの逆効果というものではないでしょうか。

今現在、杉並区がこの課題に直面しているからこそ、あえて声を大にして申し上げるのです。

他人の子育てにあまりに無理解で不寛容な人も、中には存在することも確かです。ただし、先の35%の方々の大部分は、そうではないはずです。
保育施設が、子供達にとって、社会性や種々の能力を身につけるための貴重な場であることは、多くの方々が理解していることではないでしょうか。
また、保育施設に子供を通わせている、また通わせたいと願っているほとんどの親御さんは、子育てと仕事の両立に奔走しながらも、周りへの気遣いを忘れない良識ある方々であることを、私自身、保育園の理事を務める中で十分に理解しています。

声の大きな一部の人々のために、地域と保育施設との間に要らざる軋轢を生む恐れがあることは、残念でなりません。

posted by 田中ゆうたろう at 11:09| Comment(11) | 日記