2015年12月24日

平成27年を振り返って

今年も残すところあとわずか。思えば今年も様々な出来事がありました。その中で、とても印象に残ったことをご紹介します。
この夏、私はある会からご依頼を頂きました。9月に行われるその会の月例会で、何か話をしてもらいたいとのことでした。
私は、その席でどうしてもお話ししたい内容がありました。
その会は、心から日本を愛する方々が多いので、その内容が果たしてふさわしいかどうか、とても迷いました。しかし、「戦後70年。皇室の弥栄を願うからこそ、やはりお話ししないわけにはいかない。これでその会の方々からご批判を受けても構わない」という覚悟を決めて、臨むことにしました。
大まかに、次のようなことをお話しさせて頂きました。

「まず、今年の元旦に発表された御製(天皇陛下のお歌)についてです。
『爆心地の碑に白菊を供へたり忘れざらめや往(い)にし彼(か)の日を』というお歌です。要点だけいえば『忘れざらめや』は語法上誤りで、正しくは『忘れめや』でなければなりません。そうでなければこのお歌は長崎の原爆犠牲者を愚弄していることになってしまいます。
このお歌を拝読して、正月早々、陛下に恥をかかせる宮内庁の無能と怠慢に猛烈に腹が立つと同時に、正直、何かとても嫌な予感がしました。そして、その予感は残念ながら的中したのでした。
陛下は、8月15日の全国戦没者追悼式でのお言葉で、これまでの先例を破って『さきの大戦に対する深い反省』に言及してしまわれたのです。
安倍首相が、各方面に熟慮を重ねながら、戦後70年談話を発表した、その矢先のことでした。
『あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。』
おそらくは血のにじむような検討作業の果てに、ようやく首相がそのような絶妙な文言を談話の中に織り込むことに成功した、その直後のことでした。
私は、陛下のお言葉が、内容、タイミング、ともに果たして妥当なものであったかどうか、疑問でなりません。宮内庁の無能と怠慢は、ここに極まったというべきでしょう。」

そのようなお話しをさせて頂いたのですが、意外なことに、その会の方々は全面的に賛成と言って下さったのでした。
「お互い不幸な過去があったが…というのが国王の挨拶として常識である」
「軍人達は天皇の名のもとに玉砕した。その天皇に深い反省などと言われては、彼らの霊が浮かばれない」
といったご意見が次々と寄せられたのです。
私としてはご批判覚悟で臨んだのですが、それは取り越し苦労でした。
心から日本を愛する方々だからこそ、よく見ておられるのです。
そのことが、今年とても印象に残った出来事の一つです。

さて、昨日は天皇誕生日でした。陛下は次のように述べられました。

「年齢というものを感じることも多くなり,行事の時に間違えることもありました。」

「行事の時に間違えること」とは具体的には何を指しておられるのか、このお言葉からだけでははっきりしません。ある式典中に段取りを確認されたことなどが念頭にあったかなどという報道も見かけますが、もしそのような些事ならば、間違いというには及ばないと私は思います。
むしろ、8月15日のお言葉こそ、おそれながら「行事の時に間違えること」そのものであったと私は思います。
実際、日頃皇室を軽んじておきながら、こういうときだけその威を借りて、「ほら見ろ、安保法制の審議の最中にこういうことを言い出すからには、やっぱり天皇も護憲派ってことじゃないか。みんな見習え」などと牽強付会する左翼政党や左翼政治家、それに連なるいかがわしい学者や評論家、マスコミ等は、後を絶たないのです。

折も折、杉並区ではこの8月、再び自虐史観の色濃い帝国書院の中学校歴史教科書が採択されてしまいました。また、これに関連して杉並区議会には教科書採択に関する陳情が出され、私は文教委員会の決定(不採択)に反対でしたが、残念ながら本会議でも賛成多数により不採択との結果に終わってしまいました(10月16日議決)。区政に携わる者として忸怩たる思いです。
子供達には教科書の偏った歴史観を鵜呑みにすることなく、自分達自身の目で歴史を学んでもらいたいと願います。

posted by 田中ゆうたろう at 13:38| Comment(4) | 日記