2018年03月30日

「自衛戦さえ認めぬ」そんな失礼なことを、安倍首相よ、自民党よ、あなた方は自衛隊員の方々に本当に言えるのですか

 アメリカによって押し付けられた現行の日本国憲法なるものは、そもそも無効である。このことを主張し続ける私は、昨年5月、「保守政治家としての本分を思い出して頂きたい」と題し、このブログで概略次のように述べました。「憲法9条1項・2項に手をつけぬまま、自衛隊を明文化する。つまり、自衛隊を現状よりさらに無力化する安倍首相の憲法改正論は、邪道中の邪道です。安倍氏は各方面に譲歩を重ねるあまり、保守政治家としての本分を見失い、いつの間にか変質を遂げてしまったようです。」

 そんな私ですから、現在、森友問題で窮地に立たされている首相を擁護する気にはなれません。奔放な夫人のために随分ご苦労されているようですが、その夫人を好き放題にのさばらせてきたのも、結局は首相本人の責任ではありませんか。せめて今後は「女性の社会進出を支援」云々といった内容を口にされるときは、慎重の上にも慎重を期されることです。

 以前からこのブログで述べてきたように、「戦力」でない自衛隊など、意味がないのです。自衛戦さえ認められない自衛隊、そんなものをわざわざ憲法に新たに書き込み、自国を守る権利もない国家として日本を固定化するくらいなら、現行憲法の方がまだましだとさえ言わねばなりません。国家として、侵略軍は要らないが防衛軍は必要に決まっている、こんなことは今時小学生でも知っています。
 要するに、森友問題は、「日本人よ、立ち止まって猛省せよ」という天の声と見るべきでしょう。
 66年間も現行憲法を甘受してきた日本人の責任を案ずる向きもおられますが、これは「主権回復」後も事実上はアメリカの属国であり続けたのですから、致し方のないこと。強いて言えば責任はアメリカにあります。「憲法改正」を結党の趣旨とする自民党の無作為を責めるべきはないかとの指摘もありますが、時代的な限界もあったでしょう。どうしても、現実路線として「憲法破棄」の前に「憲法改正」を経る必要があるならば、「占領下の憲法改正禁止規定」と「9条削除及び修正」の2点だけで必要十分であること、これもこのブログで述べてきた通りです。現行の日本国憲法が無効であるとして、では一体何をすれば良いのかとの問いに対しては、そのことを真摯に愚直に言い続けることだと答えるより他ありません。日本の国会議員に、アメリカという国家に。

 先般、銀座の寿司屋でオバマ前大統領と「昔話で盛り上がった」という安倍首相を、トランプ大統領の逆鱗に触れる外交音痴と詰る向きもありますが、したがって私はこの点では安倍首相を責める気にはなれないのです。オバマ氏にも毀誉褒貶がつきまとうことは当然ですが、ともあれ広島を初めて訪れたアメリカの大統領です。仲良く飯を食って何が悪いのか。アメリカ大統領よ、文句があるなら今度は長崎においでなさいというところです。

 アメリカは2度も原子爆弾を我が国に投下し、民間人を無差別に大量虐殺した歴史を負っています。現行憲法は、たかだかその負の遺産に過ぎないことを日本人は忘れてはなりません。

 そして、今も日本の陸海空を守って下さっているのは誰なのか、誰のおかげで戦後日本は平和を享受することができてきたのか、それを断じて忘れてはなりません。
  
posted by 田中ゆうたろう at 11:59| Comment(1) | 日記

2018年01月07日

駒崎弘樹氏は、荒川区、荒川区議会、荒川区民に対し、ただちに謝罪せよ

 杉並区内でも複数の保育施設を運営する、認定NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹氏が、自身のブログで次のように述べています
 少し長くなりますが、看過できない内容を含みますので、抜粋して引用します。


《引用はじめ》

年始に見知らぬワーママから、「助けて」ってフェイスブックメッセージが来たんですよ。
何かな、と思ったら、「荒川区のゼロ歳児保育の預りが17時までなのです」と言うわけです。
(中略)
そんで、荒川区の言い分がこれですよ。(太字等は筆者)
子育て支援部長「子どもの健やかな成長には心の安定が必要という観点から、ゼロ歳の間はできる限り家庭の中で保護者と接する時間を長くとってほしい」( 出典:荒川区議会特別予算委員会 http://bit.ly/2EcCsAp
荒川区議会議員「生まれたら、四十八日目、子どもさんを保育園に預けて、小学校に行ったら学童に預けて、中学校に行ったら、部活や塾に行って、どこに親子のきずなとか家庭のきずなが生まれるのかなと。(中略)
私は三人兄弟で、保育園も幼稚園も行ったことはないけれども、それなりに生きてきているというふうなことを考えたときに、何で保育園に預けなきゃいけないのということを実はいつも私は非常に疑問に思っています。決して教育費が高いからとか、いろいろある。
お母さんは働きたい、いい暮らしをしたいと、否定はしないけれども、生まれたら保育園に預けるのが当たり前みたいな、そういう考えじゃなく、また、幼稚園に三歳から預けたっていいじゃないですかというのも当然あるんだけども、何かわだかまりがあるんですが」
( 出典:荒川区議会 文教・子育て委員会 http://bit.ly/2Azbd0L

お前ら、そのまま荒川に沈んじゃえよ、と。
保育園預けてたら、「心の安定」とやらが得られないのかよ。
保育園行って学童行って部活行ったら、「親子のきずな」とやらがなくなんのかよ。
なんのエビデンスもない、妄言だろ。(以下略)

《引用おわり》


 ご覧のように駒崎氏は、荒川区の区議会議員(公明党荒川区議会議員団幹事長 保坂正仁氏)や職員を指して「荒川に沈んじゃえ」と述べているのですが、これは完全な脅迫行為ではないでしょうか。

 特に、区民の負託を受け、その代表として議会活動を行っているのが区議会議員です。区議会議員に「川に沈め」と言うことは、その議員を議会に送った区民に「川に沈め」と言い放つことと等しいのです。
 
 私は杉並区議会議員ですが、たとえどれほど政治信条の異なる議員に向けられた発言であったとしても、「お前ら、神田川に沈んじゃえよ」と言われれば、断じて許しません。
 駒崎氏は、保育行政に関する発言であれば、いかなる表現も許されると思っているのでしょうか。

 「川に沈め」というのは、「死ね」と同義ではありませんか。
 駒崎氏は、荒川区、荒川区議会、荒川区民に対し、ただちに謝罪すべきです。

posted by 田中ゆうたろう at 21:09| Comment(341) | 日記

2017年12月01日

日本人になってみなければわからない世界

 日本文学者のドナルド・キーン氏が偉いな、ご立派だなと思うのは、氏が最終的に日本国籍を取得したことです。
 氏がいかに流暢な日本語を操って近松や芭蕉を論じようとも、いかんせん、日本人になってみなければわからない世界というものが、厳然としてある。
 氏は、日本人になって、はじめて三島も「もののあはれ」も理解できたに違いありません。

 なぜか。それは、「日本国」というものと「日本文化」というものが、切っても切れない関係にあるからです。ここが他の諸国・諸文化と決定的に異なるところです。
 こういうことをいうと、「日本文化」とはいったい何だ、その内実は多様だ、十把一絡げにくくるなという批判を浴びそうですが、そう批判する方は、失礼ながら視野が狭いと言わざるを得ません。
 なるほど、北海道と沖縄では文化が違う。いや、同じ本州の中でも、西日本と東日本ではだいぶ異なる。同じ東日本の中でも…と、この調子で行ったら、どこまでも細分化できてしまいます。
 広く地球規模で見比べてみれば、やはり日本文化は他の諸文化と比較して単一性が強いのです。言語の面から言っても、宗教の面から言っても、それは間違いありません。
 そして、その日本文化は、紛れもなく日本国の領土において、紛れもなく日本国の国民によって、継承され続けてきたのです。
 日本国籍を取得することによって、はじめて日本文化の担い手となることができる。
 小泉八雲とキーンドナルド氏、私はこの二人の青い目の同胞を、心から尊敬します。

 反対に、ちっとも尊敬できないのが、大横綱という立場にありながら日本の国技を汚してきた、または今も汚し続けている面々です。
 朝青龍や日馬富士などは論外として、今回、意外と悪質な本性が露見したのは白鵬でした。優勝者自ら、しかも不祥事の最中に、客に万歳三唱を押し付ける厚かましさ。それに「日馬富士を再び土俵に上げたい」「貴乃花巡業部長の下で冬巡業には参加できない」…一体、何を考えているのでしょうか。

 神事たる相撲をその辺の「スポーツ」と錯覚し、「惻隠の情」も「武士の情け」もわからない外国人を土俵に上げて平然としている。その不見識、その無神経に、私は諸悪の根源があると考えます。
 知ったかぶりの理屈屋はどこにでもいるものですが、とりわけ日本の伝統文化界隈にはなぜかしつこく出現し、
 「まあ、いいじゃないか。今の時代、外国人の力士がいたって」
といった邪説をもっともらしく周囲に吹聴するのです。
 また、吹聴される方もされる方で、案外ころっと騙されてしまう。
 所詮はファッションで伝統文化をやっているに過ぎないので、人権だの多様性だのと言われると、もう他愛もなく赤子のように騙される手合いが多いのです。

 相撲を日本の国技とするならば、当然、力士も日本人に限るべきです。
 また、外国人を土俵に上げるならば、相撲は日本の国技の座を他に譲るべきです。

 はっきり言って、外国人力士など、もうやめたら良いのです。
 一番強い奴が、格下の後輩をビール瓶で殴った、いやビール瓶は使っていない、リモコンで殴った…
 こういう話が続くから、学校で武道を教える必要はないなどと言い出す人達まで出て来る。
 困ったものです。

 一番強い奴が、一番優しくて一番ご立派でなければならない。
 日本人なら肌感覚でわかる、武道というものの初歩の初歩がわかっていないのです。のんきに万歳なんかやっている。

 自分達の国で、勝手にSUMOを取ったら良いのです。

posted by 田中ゆうたろう at 09:47| Comment(3) | 日記