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2013年02月21日

一抹の忸怩なき待機親に一抹の疑義あり

認可保育所に4月から子供を入所させようと申し込みながら、「入れない」と通知された杉並区の母親らが18日・19日、杉並区役所前で抗議集会を開いた。19日の東京新聞は次のように伝える。
「『子どもを持つなということか』。東京都杉並区役所前で18日、赤ちゃんを連れた母親らが、我慢してきたつらい気持ちを涙ながらに吐き出した。妊娠中から保育所探しに歩き回り、育児休暇中も不安にさいなまれた揚げ句、預け先が見つからない。『認可保育所を増やしてほしい。現状のおかしさに気付いて』と訴えた。待機児童の多い都市部共通の、母の願いだ。(柏崎智子、小形佳奈)
『大きなおなかを抱えた臨月から、保育園を回らなければならなかった。インターネットで区の保育事情を検索し、何日も不安で眠れなかった。貴重な育児休業中、何をしていても保育園の心配がついてまわり、本当に苦しかった。こんな目に遭うなんて知らない妊婦さんは、今も大勢いるんじゃないか』
10カ月の子どもの母親はマイクを握り、『保活』とも呼ばれる保育所探しのつらい経験を振り返った。認可保育所の入所の競争率が異常に高いため、母親らは子どもが産まれる前から認可外保育施設を訪ね歩いて申し込む。育児休業を早めに切り上げて認可外施設に入れ、認可保育所に入るための点数を稼ぐ人もいる。
これほどの保活の厳しさを知らない人も多い。杉並区の公式な待機児童数は、昨年4月1日現在で52人で、都内の他の自治体に比べて特に多くない。この数字には認可保育所を希望しながら認可外施設に入って空き待ちをしている子どもや、預け先がなくて仕事を辞めてしまったケースは含まれないためだ。潜在的な待機児童の状況が分かりにくくなっている。
1歳3カ月の長女を持つ女性は『子どもが生まれた時はとても幸せで、職場復帰するまで楽しく過ごそうと思った』が、半年後、保育所の入りづらさを知ったという。あわてて何カ所も保育所回りをしたが、入れるところがなく、認可保育所も落ちてしまった。
6カ月の長女がいる女性は、老老介護する父母を支えるため、出産後まもなく実家のある杉並区へ引っ越してきた。これが認可保育所の入所にマイナスに働いた。『『両親が近くにいると入所の優先度が下がる』と今日、区の窓口で知らされた』
妊娠中から申し込んだ5カ所の認可外施設もすべて断られた。『あまりに長い不安の期間を過ごした上に全滅で、ショックが大きい』と声を震わせた。
子どもが2人で、上の子の預け先がないという母親は『この数日間、眠れない。お母さんの精神状態が悪いと子どもの笑顔もなくなる』としゃくり上げた。
抗議集会を企画した『保育園ふやし隊@杉並』の曽山恵理子さんは『保育園が足りないと泣いているだけの状況はそろそろ終わりにしたい。できることを考え、一緒に行動しよう』と呼び掛けた。」
待機児童問題、というよりも本質的には「待機親問題」なので以下待機親という言葉を使うことにするが、待機親の辛さは想像できる。想像できるというのは、私はまだ親ではないので実体験がないからだ。子供というものは、基本的には親が家で育てるものだと思ってきた。最低限の物質的・精神的備え、つまりは経済力だとか人間力だとか、そういう準備も覚悟もなしに子供というものは易々と持つべきではない、持つ資格がないと自分自身に言い聞かせてきた。よく、その歳(現在37歳)まで独り身でいるとはどういうことかとお叱り気味に言われることがあるが、私に言わせれば、もしも結婚した時、果たして本当に妻や子供を幸せにできるか、その自信を持つのに人によって多少の時間はかかるのである。四十にして惑わずと言うではないか。
そんな私からすれば、正直な話、よくもまあ貴君のような未熟者が結婚したなあ、子供まで授かったなあと驚き呆れるような知り合いも少なくない。ましてや、もしも本当に先の東京新聞が伝えるごとく、「子供を持つなということか」などとまで開き直る待機親があるとすれば、私はそういう親にひとつ問いたい、「ならば最初から社会でお宅の子供の面倒を見ろということか」と。
私は、今のこの不況を本質的に打破するためにも、女性力を思い切って爆発させることは必要だと考えている。仕事と子育てを真に両立できる社会を創らねばならないと強く願っている。だが、それゆえにこそ、「子育ては本来は家庭で行うもの」という基本中の基本を忘れるべきではないと痛感する。一抹の遠慮も忸怩の念もなく、声高に居丈高に「子供を持つなということか」「現状のおかしさに気付いて」などと世を恨むかのような態度は、それこそどこかおかしい、どこか的を外している。「お願いです。私達の子育てをどうか手伝って下さい」、これが待機親に求められる人としてのマナー、エチケットというものではなかろうか。この寒空の下、泣き叫ぶ赤ん坊を片手に区庁舎前でマイクを握るのも結構だが、もしも私が親ならそんな残酷なことはしたくない。家で子供に暖を取らせつつ、待機児解消のためあらゆる施策を講ずべき旨、区に陳情書でもしたためるであろう。
アジテーションが悪いと言っているのではない。最初から子育てを社会に押し付けるな、大人の都合に子供を巻き込むな、そう言っているのである。
posted by 田中ゆうたろう at 08:09 | 日記
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